中華圏で長年にわたり絶大な人気を誇る女優・スー・チー(舒淇)が、監督第1作「女の子 / Girl」(原題:「女孩」)を携えて東京フィルメックスに登場。11月23日の上映後のQ&Aと、翌24日の上映記念トーク「演じる時間、撮る時間。スー・チーが語る“映画の記憶”」に登壇した。

舒淇は90年代半ばから現在まで活発に活躍。日本でも非常に人気の高い中華圏を代表する俳優のひとり。そんな舒淇が監督・脚本を手掛けた第1作を携えて来日。イベントは両日ともに満席。多くのファンに迎えられた。
本作は8月のベネチア映画祭コンペティションでワールドプレミアされ、9月の釜山映画祭で最優秀監督賞を受賞。台湾では10月31日に上映が始まった。
舒淇が映画を監督するきっかけとなったのは、ホウ・シャオシェン(侯孝賢 )監督に「自分の物語を書いたら」と勧められたこと。
その辺りの事情は、東京フィルメックスのウェブサイトに掲載されている監督のステートメントhttps://filmex.jp/program/fc/fc2.htmlを参照していただきたい。Q&Aでもそれを踏まえた上で進められた。
【Q&A】
冒頭で舒淇は「俳優・舒淇ではなく監督・舒淇です」と挨拶すると、顔をクシャクシャにして微笑んだ。

―俳優への要望は?
俳優に多くの要求は出していません。父を演じたロイ・チウ(邱澤)は成熟した俳優なので、脚本を見て、すぐ役の魂に入り込んでくれました。
9m88の母親役は少し難しかったです。彼女は台湾では有名なジャズ歌手で、熱心でとてもスイートな美しさがありますが、脚本を読んだ段階ではまったく役に入り込むことができずにしばしば「なぜ?」と疑問をぶつけてきました。「夫が彼女に暴力を振るうと、なぜ彼女は娘のシャオリー(小麗)にぶつけてしまうのか」という問いには、当時の多くの人たちの生活や時代背景を説明しました。9m88が長女で、長女は一家の問題を引き受けるものだとわかっていたので、彼女はそこを入り口にしてゆっくりと役に入っていきました。
小麗を演じた白小樱とはたくさん時間をかけて話し合いました。彼女はとてもかわいい子です。衣裳合わせの時には少し太っているかなというカメラマンの意見もあったのですが、子供にそんなことを言ってはいけないと伝えていました。でも1か月後に撮影に入ったときには6㎏も痩せていました。素晴らしい俳優たちに恵まれて幸運でした。
―音楽は9m88のでなく、なぜ王心凌の〈如果不是我的〉ですか?そして映画の内容とは違う明るい音楽なのはなぜですか?
ああ~。必ずそういう繋がりをつくらなければいけないわけではないと思います。映画の中の曲は鄭怡の「心情」も蘇芮さんの「跟著感覺走」も王傑先生の曲もソニーさんの曲。なので主たる理由は版権の問題です。9m88さんもソニーだったら、担当してもらったかもしれません。

―この映画は舒淇さんの長年の夢の実現でしたか?今後も監督を続けますか?俳優に戻りますか?
私の人生計画に監督業はなく、監督をやると思ったことはありませんでした。もし私が侯孝賢監督に会わなければ、皆さんはこの「女の子」という映画を見ることはなかったでしょう。なぜなら、監督業はとても辛くて、とても疲れるし、とても悩むからです。監督には理性と感性が必要で(振り返ってため息を何度もつきながら)、本当に大変な仕事です。私が俳優として見てきた監督の仕事は、繰り返しが多くて複雑でしたが、私の前ではとても冷静に対応してくれた監督ばかりです。でも私が監督になったときの撮影の状況は複雑で、私は爆発しそうになりました。なんとか俳優たちの前では平静を装って、現場をコントロールしましたけれど、本当に難しいことでした。運よく撮影を終えることができましたが、将来、次の作品を撮るならば、慎重にならねばなりません。どんなタイプの映画を撮るとしても、何年もの時間が必要です。今後はやはり俳優をメインにやっていきます。
―妹のカバンから赤い風船が飛んでいく場面が印象的でした。このシーンについて解説いただけますか。
姉妹の関係はとても微妙で、愛し合いながらも傷つけあっています。赤い風船がランドセルから飛んでいく場面ですが、その前の場面で小麗が妹に「なぜ人から笑われても、そんなに楽しそうにしていられるの?」と尋ねるセリフがあります。楽観的で明るい妹は「楽しそうにしないなら、どうすればいいの?笑わなきゃ」と答えます。抑圧的な生活環境でも、妹はいつも前向きで元気ですが、妹はまだ幼く、姉が守っているところもあります。
妹が天真爛漫にとんとんと地下道から階段を上っていき、ランドセルのふたがカンカンと音をたてます。そのとき「何がランドセルから出てくるか」と考えたときに、私は侯孝賢監督の『ホウ・シャオシェンの レッド・バルーン』を思い出しました。風船はランドセルから不意に飛び出し、暗闇から大空へと自由に飛んでいきます。この場面で小麗の自由へのあこがれの気持ちを表現しました。
【上映記念トーク「演じる時間、撮る時間。スー・チーが語る“映画の記憶”」】
翌日のトークイベントでは、東京国際映画祭でもお馴染みの市山尚三氏との一問一答で進められた。
舒淇の「私が幸運だったのは、私には映画界での30年の経験があったことです。映画のいろいろな方面の先生や先輩たちと一緒に仕事をした蓄積があったことで、思い通りに進めることができました。だから私は『この映画は私の第1作目で、私は一番年をとった新人監督です』とよく言っています」の言葉から話は本題に入っていった。
(侯孝賢監督の「ミレニアム・マンボ」(千禧曼波)出演のきっかけについて)
侯監督が、なぜキャスティングしてくれたのかはわかりませんが、とても光栄なことで、20数年たっても光栄なことだと思っています。何年も後になって勇気を奮って、侯監督に『なぜ声をかけてくれたのですか』と尋ねたことがあります。侯監督は『テレビを見ていてCMに出ていた女の子がいいなと思ったから呼んだんだ』と答えてくれました。
(侯孝賢監督とは3本組んでいますが)
すぐに「この女の子は使いにくい」と外されると思っていました。「ミレニアム・マンボ」で3か月撮影している間は、どんな作品なのはわかりませんでした。というのは、脚本はなく、侯監督は私に「この人はこんな人で、彼氏は誰で、カオが出て来て…」と説明してくれただけだったのです。カンヌ映画祭で完成した映画を初めて見て「ああ、映画ってこんな風に撮れるんだ。人物の連続性がすごい」とショックを受け、ホテルに戻って「ビッキーってなんて可哀そうな女性だ」と胸が痛んでしばらく大泣きしました。
(「ミレニアム・マンボ」後半の日本の場面について。撮影前から日本での撮影があることを知っていましたか?)
私は全然知りませんでした。侯孝賢監督が当初からそのつもりだったのか、私はわかりません。撮影地の夕張がもともとは映画の街で、特に古い映画の手書きの看板が珍しくて嬉しかったです。半月ほど撮影しました。
(「女の子」の冒頭で姉妹が歩く歩道橋が「ミレニアム・マンボ」に出てくるのと同じ歩道橋なのか?)
同じ歩道橋ですが、20数年たっていますから違う歩道橋ですよ。「ミレニアム・マンボ」とは、まったく関係なくあそこで撮影しました。というのは、「女の子」のロケハンで小麗たちの通学路であり、後に小麗が家出したと思った母親が娘を探しまわる道を探して、あの歩道橋に決めました。そこで小麗が走って、私も小麗の後ろについて移動している時に「この歩道橋のこと、なぜよく知っている気がするのだろう」と思いました。そしてよく考えてみたら、「ミレニアム・マンボ」のあの歩道橋じゃないかと思い至って鳥肌が立ちました。『侯監督と運命的に繋がっている』と感じました。
(侯監督が監督になることを勧めてくれたことについて)
なぜ侯監督が私に監督の才能があると思ったのか、わかりません。15年ほど前のことで、私は侯監督が冗談を言っているのだと思いました。後に侯監督の「黒衣の刺客」についておしゃべりしている時に、私は「侯監督の映画に脚本があるなんて」と言ったら、侯監督が突然「君の脚本は?どんなのを書くの?」とおっしゃったので、あの時、侯監督は真面目に私に監督になることを勧めてくれていたのだと思いました。
(「女の子」の脚本に掛けた時間について)
十数年かかりました。劇作を勉強してきたわけではないので、長い時間がかかりました。ある時、私の夫(スティーブン・フォン 馮德倫)が言ったんです。「紙とペンを持って座って、思いつくままに書けばいい。一枚一枚書いていって、だいだいいいなと思ったら、それをまとめるんだ。そして一枚、一枚見直していけば、君の脚本が出来上がるよ」と。
2023年(8月)にベニス映画祭に(審査員として)出席した際に「脚本を書き上げないと監督にはなれない。侯監督との約束を守れない」と思って、十数年間に書いたものを半月で整理し脚本を書き上げた後に、プロデューサーに「撮影したい」と話しました。2023年9月に脚本を書き上げ、1年で撮影も終えて、ポスプロなどに半年ほどかかりました。撮影期間は39日間です。
(撮影スタッフについて)
本作には子供と母親への暴力シーンがあるので、俳優たちが少しでも安心できる撮影現場にしたいと思ってカメラマンは誰がいいかと考えました。まず浮かんだのはマーク・リー(李屏賓)さんでしたが「時間がない」と断られました。(笑)そして、ちょうど一緒の仕事を終えたばかりの余静萍さんを思い出しました。彼女のカメラは、私の前にあってもないように感じていたので、彼女のようなカメラマンが、機材があることを忘れさせ子供達をリラックスさせると思ったのでお願いしました。
(キャスティングはご自身で?演技への注意は?)
全部自分でやりました。私が撮影で大切にしたのは、俳優たちが安心快適であること、そして現場を自分たちの生活の場所のひとつとすることです。侯監督が私に話してくれた大事なことは、撮影は俳優の動きの流れに従うこと。俳優を枠にはめないこと。侯監督は一度も私にどう演じろとか、あそこでこのセリフを言えなどということを言ったことがありません。なので、私も俳優たちに『動きたいように動くように』と伝えました。私自身が俳優で、俳優出身の監督とたくさん仕事をしたことがありますから、監督が演じて見せてはいけないと自分に言い聞かせました。演技して見せることは、俳優に大きなプレッシャーを与えることになりますから。この一点はずっと気を付けていました。
(俳優たちの演技はよかったですか?)
「もちろんです!(と即答)ときには私が想像していたとは違う、別の表現方法を見せてくれた時もありますが、それこそが一番ふさわしいその役の魂だと感じました。父と娘とのやりとりは、この家庭での普通のやりとりで、私舒淇の思う家庭のやり取りではありません。私は彼らの家庭でのやり取りを彼らの角度から追いかけていました。彼らの表現が、私には衝撃的で、しかもとっても気に入っています」
(9m88のキャスティングについて)
母親役のキャスティングはとても難しかったです。この母親は子どもを産んでいますが、成熟しておらず、まだ少女のようだと考えていました。その眼差しからもわかるように、彼女はこの世界に憧れと望みを抱いていた人でしたが、あんな目に遭ってしまった。彼女の若い時を描くのには時間をかけました。
9m88を見て、彼女こそそんな女性だと思いました。彼女の肌は黒く、ある種の母性を感じさせるのに、まだ31才で、彼女こそ私が必要としている人だと感じました。彼女に来てもらったとき、彼女が楽しそうに笑うのを一目見て、なんてかわいく、清純なんだと思い、そして渇望するような眼差しと演技を見て、「母親役は彼女だ」と言いました。
(脚本について)
私が脚本を書いていた時は、小麗を出発点にしていましたが、書いている時に突然、私が小さいころの断片がひらめいたのです。それは私の記憶ではなくて、ひらめきでした。
脚本を書き終えた後、焦雄屏先生に第一校を見てもらいました。すると焦雄屏先生が『母と父のドラマを少し詳しくしたら』とおっしゃったので、私は母親が自分の昔を思い出す場面を脚本に加えました。
(編集中にカットしたシーンは?)
カットしたのは、私が残しておきたくないと思った場面だけです。脚本を書いたときには、父親がバイクで事故を起こしたところで終わらせようと思っていました。父親は死んだのか、死ななかったのか、母親は去ってしまったのか、その後、小麗が母親と一緒なのか、観客に考えてほしかったからです。
でもプロデューサーたちが「最後に観客には出口を準備してあげてほしい」と感じたので、私はまた2か月余りかけて、今のように大人になった小麗が帰ってくる場面を書き足し、真剣に撮影を終えました。
ところが編集中に焦雄屏先生が、その最後の場面をカットしたんですよ。(笑)
でもその後「観客に出口を与える必要があるわね」と言ってカットするのをやめたので、私も残しました。
終始笑顔で率直に答えてくれた舒淇。トークイベントでの終盤に語ってくれた言葉がとても印象的だった。
「釜山映画祭での上映後に多くの観客が『この映画は残酷すぎる』『心に引っかかる』『好きではない』と言っているのを知り、私も考えました。そして、上映中に多くの人がかなり辛そうに泣いているのに気付いて、残酷さのポイントがわかりました。それは自分が受けた傷がようやく癒えたのに、またこの映画を見たことで開いてしまったのだと。私の友達の何人かも、途中で帰ってしまいました。映画がつまらなかったからではなく、幼い頃の暗い記憶を思い出したくなかったからです。だから私は『この世にはこんなに多くの小麗がいるんだと』思いました」
この時点では、まだ日本での配給は決っていないとのことだったが、日本でも多くの人に観てもらえる機会があることを祈っています!
「女の子 / Girl」(原題:「女孩」)
台湾 / 2025 / 125分 /
監督:スー・チー(舒淇 SHU Qi)
出演:ロイ・チウ(邱泽)Joanne(9m88)、白小樱
舒淇:1976年台湾生まれ。『夢翔る人/色情男女』(1996)で女優として脚光を浴び、アート系映画からハリウッド大作まで幅広く出演。香港電影金像奨を3度、金馬奨を2度受賞。ベルリン、カンヌ、ヴェネツィアの三大映画祭の審査員も務める。ホウ・シャオシェン監督とは『ミレニアム・マンボ』(2001)、『百年恋歌』(2005)、『黒衣の刺客』(2015)でタッグを組んだ。ビー・ガン監督の『Resurrection』(2025)にも主演している。













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