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加藤シゲアキ「書くことに運命的なものを感じた」本作への“覚悟”を明かす!長編小説『なれのはて』インタビュー!

加藤シゲアキ最新著『なれのはて』10月25日発売され、発売1週間未満で重版が決定するなど大きな注目が集まっている。

「NEWS」のメンバーとして活躍する一方、2012年に「ピンクとグレー」で作家デビューを果たし、2020年には『オルタネート』で第42回吉川英治文学新人賞を受賞、第164回直木賞候補にも選出された加藤。1万字のプロットから始まり、構成をじっくり練り上げ、原稿に向きあった期間は約3年。原稿用紙740枚超の大作が出来上がった。

東京、秋田、新潟を舞台に、令和から、戦前戦後の昭和、そして大正まで展開していく本作は、一枚の絵の謎をきっかけに、やるせない人間の業(ごう)と向きあいつつ、一方で力強く生き抜こうとする人びとの姿を描き出すミステリーストーリー。加藤のルーツでもある秋田で起きた日本最後の空襲といわれる「土崎空襲」にも触れ、彼が温め続けてきたテーマを長編小説『なれのはて』に落とし込んだ。加藤自身も認めるこの“問題作”への思いを聞いた。

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― 前作『オルタネート』刊行直後の2020年頃から構想を開始されたそうですが、どのようなきっかけで本作の構想を開始されたのでしょうか?

『オルタネート』を発売するくらいのころから、次は何しようかなと考えていたところ、講談社さんからエンターテイメント作品かつミステリーみたいな作品はどうだろうかと、声をかけていただきました。『オルタネート』の前は『チュベローズで待っている』という、少しミステリー寄りの作品でしたが、少し突拍子もないところあったので、次は現実的な部分でミステリー作品に挑戦したいという思いがありました。

『オルタネート』で文学賞もいただくことになりまして、それまで自分は“文学賞”というものに全く縁がなかったものですから、エンタメだけではなく、ここで一度ちゃんと“小説”とは何かというところにもう一度向き合ってみようと思ったのです。

『オルタネート』はどちらかというと、若い読者のために書くという意識でしたが、次は自分の好きなものを書いてみようと。30(歳)半ばの男が楽しめる小説、かつミステリー。そして、社会派というか、今起きているものを記録する側面も意識して、いくつかテーマを考えました。最初は“権利”や“特許”に興味を持ち、権利にまつわるミステリーが面白いかな・・・と思ったのですが、なかなか突破口が見つからなかった。そうしているうちに、著作権に関することに行き着いたのですが、その一方で戦争関連の仕事も多くいただいていました。毎年広島に行ったり、原爆の被爆者の方の凄惨な体験話を聞いているうちに、そろそろ自分も戦争について向き合わなければいけないなという使命感みたいなものも感じていたんです。

広島や長崎の原爆の被害は凄まじいものがあったわけですが、ではそれ以外の場所はどうだったんだろうなと。戦争は日本中であったはず。規模の差はあれど、苦しんでいる人はいろんなところにいた。僕の母親は秋田出身ですが、秋田にも戦争の被害があったのかな?と、軽い気持ちで調べてみたら、日本最後の空襲の1つが秋田で起きていたんです。それが、日本石油の工場をめがけたものだった。どうしてそこに工場があったのかというと、秋田から石油が産油されていたんです。そこから色々考えていたテーマが繋がっていきました。そこから1年ぐらいかけてプロットを作り、2年くらいかけて書き上げました。

― 原稿を執筆されるなかで、何回か改稿もされたと思いますが、完成に至るまでのご苦労はいかがでしたでしょうか?

扱うテーマとか登場人物、仕掛けしかりですが、構想の段階から、かなり長尺なものになるだろうと想定していたので、効率よく進めるためにも、行き当たりばったりにならないよう、どこが道筋で何が必要で、何が不必要かっていう部分を見定めるために、プロットが非常に大切でした。

これまでミステリーに近いものは書いてきましたが、ここまで熱いストーリーというか、ページ数じゃなくて、物語として凄く厚みのあるものにしたかった。なので、調べる資料も本当に膨大でしたし、プロットに力を入れ丁寧に作りました。プロットからそれほど変わったわけではありませんが、実際に出来上がったものは(プロットとは)後半の結末は全然違うものになりましたし、構想期間中にウクライナとロシアの戦争が起きたりして、非常に世相とシンクロしてしまう部分があったので、そこに対しての配慮というより、よりこの作品を書く意義、意識が高まった感じはありました。

あまりにも熱が入ってしまし、書いているとどうしても視野が狭くなってしまうので、冷静に読み直すことにも時間もかけました。まず昨年末のカウントダウンライブの直前に書き上げて、そのまま歌って踊ってリハーサルして、朝イチで帰って原稿書いて、ライブしてと言う感じで(笑)。そのあとの1か月間に、京都でドラマ撮影をしている合間に読み直してはまた書いて。何度も直すのはいつものことですが、そこから3~4回直して入稿しました。

今回はページ数が僕の過去最大なので、どうしてもその分時間がかかりました。ボリュームもあるので、校閲もたくさん入りますが、そこを怠ってはいけない。時間がない中、丁寧さ、慎重さはどちらも大事なことなので、そういう部分では本当に苦労しました。

― 執筆後に秋田を訪問されました。その時にどのような感想を持たれましたか? 現地で取材された内容もお聞かせください。

本当は書く前に秋田に取材に行きたかったのですが、コロナ禍ということもあり行くことができませんでした。僕が最後に行ったのは20年くらい前で当時は高校生でした。今回は編集の方に現地に行っていただいて、色々な資料を集めていただいて、本当に助かりました。資料はかなり読み込んで史実を調べましたが、やはり現地で感じる空気感も大事ですし、体験者の方の話を聞かずに刊行するわけにもいかないと思ったので、ご存命でいらっしゃるのであればと、NEWSのツアーがちょうど仙台からスタートしたので、そのまま秋田に入るスケジュールを組みました。

そこで、現地に行って土崎空襲の資料が保管されてる場所に足を運んだり、体験者の方にお話を聞いたり、当時にまつわるものを見て回りました。結果的にほとんど書き直すことはなく、僕の中で自分が感じたことは間違ってなかったなと確認することができ、そういう意味でも自信にもなりました。一方で、当時の話を聞くと、かなり大変な状況でしたから、これは書く意味があったと、運命的なものが確信に変わった感じがしました。

― 秋田出身のお母様への取材などはされましたか?

(母親にも)取材しようと思っていたんですが、結果的にあまりしなかったです。
こんな言葉使いがあるよ・・・くらいのことは聞きましたが、母もそれほど(秋田弁を)喋らず、身近ではないのですから。もっぱら秋田弁を喋っている人や秋田弁の替え歌のYouTubeを聞いていました。最後は方言指導の方に読んでいただいて加筆修正しました。

― 今回、秋田を舞台にした作品を作ったことに関して何か仰っていましたか?

どうでしょう、心の中では喜んでいるかもしれませんが。空襲に関しては初めて祖母に「おばあちゃんはその時どうしたの?」と聞くことができました。土崎空襲も近くだったので、色々話を聞くことができて良かったと思っています。

― そういう意味でも、ご自身が書くという使命であったり、何かに書かされているような感覚が強かったのでしょうか?

確かに、いつも何か導かれるときがあるんです。“これはいま自分がやるべきかも”とか。「オルタネート」でいえば、恋愛のマッチングアプリみたいなものに、僕自身は全く興味がなかったけれど、高校生の読者に読んで欲しいなって思ったときに、そういうのお話聞く機会が多くて。これは自分が書くことなのかな・・・と導かれることがいつもあるんですが、今回に限ってはそれが多かったです。

自分が芸能生活25年になりましたが、芸能界と言う世界に小さい頃からいろんな大人に触れて、今もまたいろんな大人に囲まれて話を聞く機会が多いので、その中で感じてきたこととか知った知識がいま結びついてきています。あと、秋田を調べていたら土崎空襲が出てきたり、秋田大学に昔ある鉱山学部というものが日本で唯一あるということが分かり、それが石油や石炭を研究する学部だったこととか。個人的な体験としても面白かったですね。小説を書くときには、やはり自分の中にあるものを書いた方がいいと思っているので、それを引っ張り出したかった。自分のルーツである秋田に繋がっていたのも運命的だなと思いました。

― 今回の作品はご自身が書きたいものを書いたとのことですが、これまでの作品と違う点がありましたらお聞かせください。

自分がどういう作家なのかはよくわかっていませんが、いつも前作とは違うものを(書こう)と思っています。ただ、戦争であったり、報道であったり、そういったジャーナリズムに近いものが、自分に書けるとは思っていませんでしたが、小説家になった頃から10年を経て、いろいろ自分も考えるところになり、またそうした小説を読む機会も増えました。

アイドルをやりながら作家をやる人が、こういう小説を書く必要はないだろうと、きっと昔は思っていたのですが、『オルタネート』の発表を経て、むしろ自分だからこそ、こういった小説、戦争にまつわるものを書くべきなんじゃないかなっていう意識に少し変化していったんです。それは自分が30代半ばということもありますし、アイドルとしても年齢を重ねたということも、文学賞で自信をもらったこともある。今回の内容は法や権利の話もあり、テーマとしては少し難しいところもあるかもしれませんが、そこは読者の方々を信用するという意味でも、若い方も含めて読んでいただきたいという気持ちを持って臨むことができました。それはこれまで続けてきた自信が大きいかと思います。

― 本作はより幅広い年齢層の方々にも読み応えのある作品になっています。それは加藤さんご自身が30代半ばという年齢になってきたというところも大きいのでしょうか?

30代半ばを迎えたということもありますが、それ以上に作家を続けてきたということと、“文学賞”が大きかったと思います。それまでは、僕の本を読んでくださるファンの方たちを楽しませたいということを主に考えていました。

文学賞をいただいたことで、これまで想定してなかった読者層の方が本を手に取ってくださったんです。選考会の各先生方や同業の先輩が読んでくださって。もちろん、厳しい言葉をいただくこともありました。想定してなかった読者層の方々にも読んでいただけるのであれば、“僕だってやります!”という気持ちも大きかったです。
僕の中学校担任は国語の先生でしたが、『オルタネート』で受賞したことで母校に呼ばれて、(母校の)広報や学校誌で取材受けたんです。後日、担任の先生からお手紙をいただきました。先生はとても小説好きな方で、もう80歳近くになると思いますが、今も文通みたいなってるんです(笑)。残念ながら先生とお会いしてないんですが、色々なところで僕の本を薦めてくださっているようです。

先生が海外文学ほか色々な小説を送ってくれるんですが、僕の本は読めないと。「だって『オルタネート』は若い人向けなんでしょ?」って言うんすよ。確かに先生くらいの年齢の方に読んでいただくという想定はしていませんでしたが、やっぱりそう思わせるのはちょっと悔しいなと。国語の先生や小説家の先生も含めた、単純に小説の好きな人に向けて小説をもっと広げてもいいんじゃないかなと考えたんです。

一方で、それは今まで応援してくれた読者の方々を突き放すことにもなりかねなのではないかと、葛藤もありましたが。でも、僕自身が挑戦する姿勢をきっと評価してもらえるんじゃないかと考え、思い切ってそちらの方向に舵を切ることにしました。

― 若い方々にも純文学や小説が好きな方もいらっしゃると思います。その方々にも本を手に取ってもらえるのかと。

そうなるといいなと思ってます。戦争に関して広島被爆体験を聞くという仕事を今年もさせていただきましたが、やはり第2次世界大戦の体験者から直接お話を聞く機会は少なくなっています。そしていつかは必ずいなくなる。それを誰が語り継いでいくのかと言ったら今の若い世代やその下の世代だと思うんです。自分もそこに呼ばれてるような意識がありました。この本を若い人でも読んでもらえるといいなと思うし、楽しんでもらえたら嬉しいです。

― 物語が始まるきっかけになったのが、“1枚の絵”です。それはどこから考えられたのでしょうか?

僕は、基本的に小説を娯楽として単純に楽しむということは凄く大事だと思っているんです。話が面白いから、少し凄惨な話も能動的に読める。最初にミステリーという部分も含めて、エンタメ的に作ることが大前提だったんです。戦争に接続するかは後々構想されていきました。

誰が描いたのか分からない1枚の絵の権利をどうするのか・・・が(構想として)先でした。そこから、その奥にある物語を重厚にしていく際に、戦争の話が頭の中に湧き上がってきて接続されていきました。もっと言えば、戦争、石油ほか化石燃料、SDGsとかの問題も、この数年で一気に話題になっていますが、それを善悪で白黒はっきりつけられるわけではない。そういったグラデーションというか、マーブル的なものが、小説で書くべきテーマだと思っていた。小説は“答え”ではなくて、“問い”なんです。読者に問う、自分自身に問う。そういうテーマが『なれのはて』を構想していた段階でたくさん湧いてきて、もうこれは書くしかないなと感じました。そういうタイミングってあるんですね。

― 過去の戦争について書くことについてと現代を絡めて書くことで難しかったことは?

まず、史実に基づいて書くことが初めてだったので、凄く難しかったです。戦争をエンタメ作品のネタにしていいのかという葛藤もありましたし。でも、何か届くものがあるということを信じるしかないんです。物語の力を信じるしかない。なので、そこから目を背けず、挑戦する。それには真摯に向き合わなくてはいけないので、たくさん資料を読んで、史実を都合よく解釈しない、利用しないということなど、冷静な距離感をとることが一番難しいことでした。

現代に関しては、最初のプロットではコロナ禍を描くつもりはなかったんです。でも書き進めていくうちに、これ(コロナ禍)を避けて通れないものがあって、引っ張られてて書かされているような感じでした。歴史は点ではなく線なので、そのときに起きた社会問題や史実を本当に針の穴を通っていくような感じで物語が進んでいくんです。僕はそこを信じるようにしています。ただ、この物語を誰が手にするのかを考えて、冷静に客観視して人の気持ちに配慮し、カットした部分もあります。センシティブなところが多いので、そこは今まで感じたことのない難しさではありましたが、これはいいものになる!という予感を抱きながら書いていました。

― 本格的に小説を執筆して、特に大変だったところ、苦しかったところは?

書いていて本当に長かったですね。終わる気がしなかったです(笑)。僕から最初に「1年でとりあえず1回(初稿を)出します」って言ったんですが、全然間に合わなかったです(笑)。
他の仕事をしながらということもありましたが、結果的に1年くらい延びました。権利については段ボール2つ以上ある資料を読みながら調べて書いて、当事者の勘違いや思い込みということもあるし、その資料が絶対かどうかという検証もしないといけなかったです。あと、発達障害などのセンシティブな部分もあります。できる限り読む人を傷つけたくないので、いろんな視点で書くことが難しかった。さらに、執筆中には色々なことが世の中で起きるので、そのたびに1回1回立ち止まりました。

正直、書き終わったときは、こんな長い小説はもう絶対書かないと思いましたよ(笑)。それだけのボリュームがないと伝えられないものだと思っていますが、本当に長い道のりでした(笑)。入稿するまで何度も書き直したし、そのあとも校正して差し替えだけでも1万字くらいありましたから。

― タイトルの『なれのはて』はどのようにして決まったのでしょうか?

最初は「なれのはて」ではなかったんです。最初は誰が書いたかわからないという意味で、「Unknown」「Unknowns」というタイトルでした。でも、横文字にすると、この小説の土臭いものとはズレるかな・・・と思って(仮)。それで、小説の中から取るのであれば『なれのはて』かなと。戦争だけじゃなくて、ある一族の栄枯盛衰もあるし、“成れの果て”の先まで含めて描くことができたらと思いました。あと、登場するキャラクターの名前を決めることも大変でしたね。もうサイコロで決めたいぐらいだったんですが(笑)、リーダビリティ(文章の内容表現や読みやすさ)にも関わってくるので、最後の最後まで考えました。

― 加藤さんのこれまでの作品とは文体が違うような気がしますが。

そうですね、その通りだと思います。何を書くかによって(文体を)変えていますが、今回の小説は今までで一番硬い文体だと思います。描写もけっこう研ぎ澄ました部分がありますし、そこに時間も使いました。現代パートはそれほどでもないのですが、過去パートに関しては、戦中、戦後、昭和のバブルも描いているので、その時代の雰囲気や空気感も違うし、その時の主人公たちの年齢もあるので、おのずと文体が変わってくるのかと。多少クラシカルになっていますが、ストーリングに自信がありました。

― 加藤さんご自身がこの作品について“問題作であると考えています”というコメントを伺いました。とても勇気のあることだと思いますが、どの点が問題作だと意識されたのでしょうか?

1つは政治に触れてるということ。そこは具体的な部分あり、史実合わせてフィクションを織り交ぜながら書きました。政治的な事件を書くことに躊躇もしましたが、でもここで配慮するのちょっと違うなと、自分の中のジャーナリズム的な気持ちもあったし、少しリスキーではありますが、それは作家としての矜持(きょうじ)として臨むんだと。一番厳しい目で自己批判的な目線でこの小説を何度も読み返しましたが、最初から大きなテーマは変わっていないし、自分に都合よく逃げ道を作ったりはしていない。それはそれに立ち向かい、その時に書いた自分を信じるということでもあったんです。でも、あまりに自分の身の回りで色々なことが起きてシンクロしてきて。メディア論や政治的な部分が図らずも重なってしまったことがけっこう多かったです。問題作かもしれないけれど、自分の中に打算などなかった。厳しいことを言われる覚悟でこの作品を出そうと思いました。

― ところで、一度年末に書き終えて着地して、そこからカウントライブに行ったときのテンションって、どうだったんですか?

よっしゃー!でしたよ(笑)。来年に持っていくものが1個減った感じがするので、カウントダウンの瞬間は思いっきりジャンプしました。気が楽でしたし、年男だったので、ウサギの耳とかつけてってお願いされて。普段だったらイヤだったけど、「原稿終わってるしな」・・・でした(笑)。

― もうこんな長い作品は書きたくないと思ってから、時間が経って不思議と次を書きたいものが芽生えてきたりしませんか?

これが怖いところですよね。もう256ページ以上は書かない、最近は192ページ以上書きたくないって言ってるんですけど、怖いのは、次に書くなら、これより大きなものとか思ってしまう自分がいるのも知ってるんですよ。今はとにかく次作のことは考えないようにしています(笑)。

― 最後にこれから『なれのはて』を読まれる皆さんにメッセージをお願いします。

間違いなく面白い小説だと僕は思っています。最近少しずつ感想をいただくと、おおむね凄く好意的に受け止めてくださる方が多くて、この感覚は初めて小説書いた「ピンクとグレー」のときにちょっと近いものがあります。本当に面白いので、私のことは嫌いでもこの小説は読んでほしいです(笑)。

【加藤シゲアキ(Shigeaki Kato)】
1987年生まれ、大阪府出⾝。⻘⼭学院大学法学部卒業。2012年1月『ピンクとグレー』で作家デビュー。2021年『オルタネート』で第42回吉川英治⽂学新人賞、第8回⾼校生直木賞を受賞。
「NEWS」のメンバーとして活躍しながら作家としても精力的な活動を続けており、評価を⾼めている。他の著書に『閃光スクランブル』『Burn.−バーン−』『傘をもたない蟻たちは』『チュベローズで待ってるAGE22・AGE32』(全2冊)、エッセイ集に『できることならスティードで』がある。

なれのはて

【書籍概要】
■タイトル:なれのはて
■著者名:加藤シゲアキ
■発行:講談社
■発売日:2023年10月25日(水)
■判型:四六判ワイド上製
■定価:2145円(税込)
■ISBN:978-4-06-533143-9
【公式サイト/ X】
「なれのはて」公式 HP:https://narenohate.kodansha.co.jp
「なれのはて」公式X(旧Twitter)アカウント:@narenohate_kds

<あらすじ>
ある事件をきっかけに報道局からイベント事業部に異動することになったテレビ局員、守谷京斗(もりや・きょうと)。異動先で出会った吾妻李久美(あづま・りくみ)が祖母から譲り受けた、作者不明の不思議な古い絵を使って「たった一枚の展覧会」を実施しようと試みる。ところが、許可を得ようにも作者も権利継承者もわからない。手がかりは絵の裏に書かれた「イサム・イノマタ」の署名だけ。守谷は元記者としての知見を活かし、謎の画家の正体を探り始める。だがそれは、秋田のある一族が、暗い水の中に沈めた秘密に繫がっていた。
1945年8月15日未明の秋田・土崎空襲。
芸術が招いた、意図しない悲劇。
暴走した正義と、取り返しのつかない後悔。
長年秘められてきた真実は、一枚の「絵」のミステリから始まっていた。
戦争、家族、仕事、芸術……すべてを詰め込んだ作家・加藤シゲアキ「第二章」のスタートを彩る集大成的作品。
「死んだら、なにかの熱になれる。すべての生き物の成れの果てだ」

■撮影:羽田誠
スタイリスト:十川ヒロコ/ヘアメイク:KEIKO(Sublimation)
アートディレクション:高倉健太(GLYPH Inc.)
■作品イメージ デザイン:高柳雅人