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映画『KANO~1931 海の向こうの甲子園~』マー・ジーシアン監督&ウェイ・ダーションプロデューサー インタビュー!

感動の台湾映画『KANO ~1931 海の向こうの甲子園~』の日本公開(1月24日より全国ロードショー)に先立ち、マー・ジーシアン監督とプロデューサー・脚本を手がけたウェイ・ダーションがインタビューに応じてくれた。台湾のみならず世界で話題となった本作。映画にかける思いやエピソードを熱く語る二人は、劇中の野球少年たちと同じまっすぐな瞳をしていた。

左:ウェイ・ダーション(魏徳聖)プロデューサー、右:マー・ジーシアン(馬志翔)監督

左:ウェイ・ダーション(魏徳聖)プロデューサー、右:マー・ジーシアン(馬志翔)監督

―― 台湾では興行収入10億円を超えるメガヒットを記録し、台湾及び香港でも再上映。大阪アジアン映画祭、台北映画祭、台湾金馬奨などで観客賞を受賞され、多くの人々に愛され高い評価を得ている本作ですが、大ヒットとなった理由は何だと思いますか?

ウェイプロデューサー:台湾では、我社の制作映画は物語の素晴らしさから、ある程度ブランドイメージが定着していると思うんです。この映画のヒットの理由の1つとしては、“口コミ”だったんではないでしょうか。野球という話題性と映画に盛り込まれている前向きなメッセージとエネルギー。前作の『セデック・バレ』に比べて、もっと楽に観て楽しんでもらえる映画だっただと思います。

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マー監督:僕も同じ意見ですね。あと付け加えるとすれば、この歴史的な物語自体に人を惹きつけるものがあるんだと思います。その魅力を我々が映画作品として壊さずキチンと伝えたこと。そして、この映画にかけるキャスト・スタッフの意気込みや情熱がこの作品の中に結実し、その熱がそのまま観客のみなさんに届いたのではないかと思います。
この作品が大好き!だという人はマスコミ陣の中にも多く、「大好きなものはどんどん宣伝しよう!」という勢いが口コミで伝わっていったようです。それが大きな原因のようですね。みんながこの歴史の物語の中から“自信”をもらっているんだと思います。

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―― 生徒たちの母国語ではない日本語の発音に魅力がありました。彼らをどのように指導していったのですか?

マー監督:日本語については僕も少し分かるのですが、野球選手役の少年たちは凄く頭がいいんです。体育会系だからといって軽く見てはいけませんよ(笑)。すぐにセリフを覚えてしまいます。僕のリクエストは、口の形がしっかりセリフとあっていて、そのときの感情がしっかりと表現できていればオッケーというものでした。日本語の先生にも指導していただきましたし、私もそばについて確認していました。
※「野球選手は頭がいい! 私は野球選手です」と日本語で話し、記者たちも大ウケ(笑)

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―― 生徒たちの年齢ですが、26歳や24歳の人がいたそうですね。当時の農林学校の年齢層は高かったのですか?
※野球のチーム構成は、年齢ではなく学年制であり、甲子園出場に関しても年齢は関係なかった。

ウェイプロデューサー:当時は教育がそれほど普及していませんでした。ですから、子どもたちは年齢がきたから学校に入るというわけではなく、大人になってから入学することがよくあったんです。この嘉義農林は高校ですので、農業の知識を普及するため、台湾全土から学ぶ必要性や適正がある学生を半分は推薦で、半分は試験で入学しています。台湾全土からみると、西部は開発が早く進んでいたのですが、原住民のみなさんが多く住んでいた東部は開発が遅れていた地域でもあり、農業の普及考えると、色々な学生を集めてきたという経緯がありますので、当時の学校には高年齢の学生はいたと思います。
確かにこのチームの構成を今の我々から見ると、年齢も高いしテクニックも持っているので上手いのは当たり前でしょうと思いがちですが、この当時、集まった選手たちの野球経験は2年しかないんです。他のチームのずっと野球をやってきた選手たちとは違うんです。

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―― 嘉義農林のみなさんが甲子園出場を決めたパレードと、大沢たかおさん演じる日本人水利技術者の八田興一が長い年月をかけた嘉南大圳の烏山頭ダム完成とが、クロスしたシーンはとても印象的でした。

ウェイプロデューサー:実は、ダムの完成時期は嘉義農林の優勝の時より半年前のことでした。でも、このような出来事を映画のなかで一緒に描くことができたら絶対にいいんじゃないかと考えました。この年の夏、台湾はまさに豊作を迎えたわけです。嘉義市のランドマークである噴水も鮮やかに吹き上がり、いいことがたくさん集まって映画のドラマチックなシーンのピークを迎えることになるんです。

―― 八田與一氏が日本で大きく知られるようになったのは、ここ10年近く。李総統が国際情勢のため来日できなかった時の新聞記事に名前が出たことにより知られるようになったと思います。台湾では、八田與一はどんなふうに認識されていますか?

ウェイプロデューサー:(過去の出来事が)我々現代人にとって一つの障害になっていることではあると思うんです。しかし、それぞれにとっての悲しい過去があったとしても、その時代に生きていた人が全員悪い人だとは限らないですよね。それならなぜ、その時代を忘れようとするのですかと思うんです。日本でもつらい軍国時代に、すばらしい貢献をした人たちもたくさんいましたよね。映画の中で嘉義農林学校野球部の4番バッターでありキャプテンの呉明捷(ご・めいしょう)を描いているのですが、彼の息子さんが東京に住んでいらっしゃるので会いに行きました。お父さんの資料をたくさんを見せてくれて話を聞いたのですが、彼が「なんで父の映画を撮ろうと思うんですか? もう誰も父のことなど覚えていませんよ」と言うんです。僕は、「歴史上には色々な無名のヒーローがいますが、この人たちのことを僕たちは忘れてはいけないんだ」と答えたんです。すると彼が泣きだしたんです。世界どの国、民族でも無名の英雄はたくさんいる。過去に悲しい時代があったにしても、我々はその人たちのことを忘れてはいけないと思うんです。
この映画のなかには、重要な人物が二人います。一人は八田與一、もう一人は嘉義農林学校野球部を甲子園に導いた近藤兵太郎監督です。この二人はその時代に台湾において大変貢献しました。ぜひ、みなさんも忘れないでいてください。

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―― 近藤兵太郎監督を演じられた永瀬正敏さんをキャスティングした理由と印象は?

ウェイプロデューサー:私はこの映画の世界に入って20年になります。今でもよく覚えていますが、20年前にとても印象的な出来事が香港であったんです。クララ・ロー監督が撮った『オータム・ムーン』という映画で初めて永瀬さんを見たんです。その時の彼は若々しくてすばらしい演技を披露していました。びっくりしたのは、非常に落ち着いていて静かな演技なのに、なぜかある種のテンションがあり印象的でした。しばらくして後に再び彼の演技に出会ったのは、山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』でした。実は最初にこの『KANO』をキャスティングするときに永瀬さんのことを忘れていたんです。ある日、私が飛行機で映画を見たら彼が出ていたんです。「あれ!?どうしてこの人を忘れてしまったんだ!」と驚いて、事務所に帰ってすぐにスタッフに「永瀬さんにコンタクト取ろう!」と頑張ってキャスティングしたんです。

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―― 永瀬さんと一緒に仕事をしていかがでしたか?

マー監督:永瀬さんは、演技がすばらしいだけではなく、不思議な存在感を持つ魅力的な俳優です。絶対にこの役はこの人しかいない!とウェイプロデューサーと話し、その熱い気持ちを永瀬さんに伝えたんです。
永瀬さんは本作の出演でデビュー30周年を迎えられたのですが、その記念となる作品として『KANO』に出てくれたんです。永瀬さんは30年の経験があるのに、僕はまだ14年の経験しかない。大先輩と若手の監督の関係で、映画界では僕は後輩の立場で先輩の永瀬さんを演出しなくてはならなかったんです。永瀬さんは、自分の俳優という職業にとても厳しくプロ意識の高い人。納得がいくまで徹底的に役を突き詰めていくタイプなので、何度も何度もミーティングを重ねて長い時間を費やしました。でも、それだけ徹底して自分の役を理解し納得してから現場に入るので、撮影はワンテイクです。本当に凄い人でした。この映画の成功の半分は永瀬さんのおかげだと思っています。一緒に映画を撮らせていただき本当に多くのことを学びましたし、その気持ちは言葉では表現しきれないくらいです。永瀬さんは仕事の面では厳しかったけれど、プライベートでは私の兄貴という感じで親しくさせていただいています。現場では一人静かに台本を読んでいますが、撮影が全て終わるとすっかりリラックスされて、彼は写真家でもあるので私たちのことを自分のカメラで撮っているんです。永瀬さんの写真展が高雄と台北で開かれたのですが、僕たちの写真も出ているんですよ。

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―― 野球のおもしろさが理論的に組み立てられ生き生きと描かれていますね。もし、もっと単純化された描写だったら、登場人物たちの情熱ある説得力があまり伝わらなかったかと思います。映画の制作を通して野球がどのように見えましたか?

マー監督:撮影をしたあとにモニターを見てみると、どうしてこんなふうに撮ったのかな?と思うシーンがたくさんありました。その中で、新しい野球に対する発想が湧き上がってきました。
野球のシーンはとても撮りにくいものなんです。そして、一番大事なのはリズム感。リズム感を表現するのには、瞬間、瞬間をビシッと決めて撮ること。例えば、キャッチする瞬間、投げる瞬間、走る瞬間を上手く捉える。編集する時に特にそういうところに気をつけました。やはり野球が他のスポーツと違うところは、攻める側と守る側の両方がありますが、どちらの時も同じリズムで行わなければいけないというところでしょうか。その辺りの野球独特さが上手く出せていればいいですね。攻めと守り、瞬間を捉えるというところを理論的に組み立てました。

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■『KANO~1931 海の向こうの甲子園~』マー・ジーシアン監督&ウェイ・ダーションプロデューサーサイン入りボール プレゼント!!
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■応募方法
Astageアステージ公式Twitterアカウント「@astage_ent」をフォロー&リツートしてくださった方
Facebookで「いいね」&メッセージを送ってくださった方の中から抽選でプレゼントいたします。
応募の際には、
マー・ジーシアン監督&ウェイ・ダーションプロデューサー サイン入りボール希望
とお書きください。
Twitter https://twitter.com/astage_ent
Facebook https://www.facebook.com/AstageEnt

■応募締切
2月10日(火)まで
・当選者の発表は、発送(2015年2月下旬予定)をもって代えさせていただきます。
なお、当落に関するお問い合わせはお受けできません。
・当選者の方にはDM(ダイレクトメッセージ)にて当選のご連絡をさせていただきます。
※DM(ダイレクトメッセージ)は@astage_entをフォローいただいてませんと、お送りすることができません。

たくさんのご応募お待ちしております!

 

映画『KANO ~1931 海の向こうの甲子園~』
皆さん知っていましたか?
かつて、甲子園に、台湾代表が出場していた事を―
1931年日本統治時代の台湾から夏の甲子園に出場し、決勝まで勝ち進んだ 嘉義農林学校野球部(KANO)の感動の実話を基にした映画。
私たちが忘れかけている大切な何かを思い出さてくれる。

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【STORY】
日本統治時代の台湾。日本人、台湾人(漢人)※1、台湾原住民※2の3民族からなる、弱小チームの嘉義農林学校(KANO)野球部に、名門・松山商業を率いた近藤兵太郎が監督として就任した。近藤のスパルタ式指導のもと、甲子園大会を目指し、猛特訓が始まる。とまどう3民族混成チームの部員は、監督の情熱に、しだいに心をかよわせていく。1931年、ついに台湾代表となり、夏の甲子園に出場。一球たりとも諦めないあきらめない野球で快進撃が始まった…。
※注1:中国大陸から移住した漢民族の子孫  ※注2:台湾の先住民族の正式な呼称

■出演:永瀬正敏、坂井真紀、ツァオ・ヨウニン/大沢たかお
■主題歌:「風になって~勇者的浪漫~」Rake、中孝介、ファン・イーチェン、スミン、ルオ・メイリン(EPICレコードジャパン)
■製作総指揮:ウェイ・ダーション
■監督:マー・ジーシアン
■脚本:ウェイ・ダーション チェン・チャウェイ
■プロデューサー:ウェイ・ダーション ジミー・ファン
■2014/台湾/185分/制作会社:果子電影有限公司(ARS Film Production)/配給:ショウゲート/宣伝:ヨアケ/
(C)果子電影
公式サイト:http://kano1931.com/

1月24日(土)より新宿バルト9ほか全国公開